| ―――四角さんの人生を語るに不可欠なものはなんでしょう?
大学で専攻した民族学ですね。卒論は学会誌に掲載されました。お決まりのコースで言えば、大学院に進んで、研究員になって、という感じでしょうけど、研究室でじっと研究するより、出て行ってフィールドワークがするのが私は大好きで。卒業後の最初の就職は、大阪万博の跡地にできた立ち上げ期の国立民俗学博物館です。勤めて面白かったのですが、結婚を機に2年で退職。家庭に入りました。でも、私にとってはこの結婚も、フィールドワークの一つだったんです。
―――民族学に興味を持たれたきっかけが少女時代に? どんなお子さんでしたか?
昔も今も、とにかく体験しないと気がすまないタイプなんです。論ずるより、実際のフィールドワークから現実的な調査を元に結果を積み上げ、一つのロジックを完成させるのが面白くて。民族学にはいろいろな切り口がありますし、とても惹かれたんですよ。
表面的には典型的な優等生で、良家の子女というタイプでしたが、内面的には強烈に「私らしく生きたい!」と心の底で叫んでいるような……、ウラハラな性格でした。とてもリベラルな部分と、保守的なところがミックスしている、今の性格の基があったと思います。
関西の比較的豊かな家庭に三人兄弟の末っ子として生まれました。家族は、三世代同居の使用人も多い大家族で、母親よりもお手伝いさんに育てられました。そのお手伝いさんが大好きなのに、周りの人から自分の母親と見られたくないと思う自分がいて、そういう自分が嫌で、5歳で円形脱毛症になってしまいました。大好きなお手伝いさんはお金で雇われて優しいのかしら……、とか、子ども心にいろいろ考えていた自分がありました。とてもナイーブだったんですよね。成長するにつれて、この家庭環境から外に出たい気持ちがどんどん強くなってきました。
―――そんな四角さんに影響を与えたのはどなたですか?
祖父です。私が一番尊敬する人です。祖父はいつも「この世に生を受けて健康な身体をいただけたことを先祖に感謝し、人並みに教育を受けさせてもらったことを感謝し、身に着けた学問を世の中に還元するような生き方をしなければならない」と言っていました。祖父はロマンティックな人で、おしゃれで若々しくて、一緒にいるとたいてい「お父様ですか?」って聞かれるほどでした。「スポーツは社会教育である」と唱えた祖父は、戦後の日本人の心をスポーツで甦らせようと、今で言う、スイミングスクール、テニススクール、サッカースクールを、営利目的ではない団体として設立しました。もちろん私も、スイミングとテニスには通いましたよ。また、「ゴルフは金持ちの道楽であってはいけない」と、ハンディキャップの有無に関わらず老若男女が楽しめるスポーツとして、パブリックコースを日本で初めて作ったんですよ。
祖父には大きな影響を受けています。もう本当に、自慢のおじいちゃまでした。私が大事にしている、「自分を社会に還元する生き方」、「物事は必ず縦と横で見なければならない(縦とは歴史、横とは世界での広がりや民族)」、「すべての答えは自然に在る」、「健全な社会を構築していく上で大事なのは教育」などは、祖父の教えを基盤に、私なりに考えた“哲学”です。
私は、世界で一番重要な学問は哲学だと思っています。例えば商売も、何かを作っても、教えても、哲学のない仕事はしたくないと思います。医学も、経済も、民族学も、すべてのものの究極は哲学だと思うんです。
———結婚や子育てのことも聞かせてください。
“毎日がフィールドワーク!”という私だから(笑)、結婚そのものが、子育てが、実家を出てからの生活すべてが、体当たりのフィールドワークです。じっとお家にいられるタイプでもないし、さっそく、近所の子どもたちを集めて私塾のようなものを始めました。有名学校やテストの高得点を目指した大量生産の教育ではなく、徹底的な個別対応なので、「あそこに行けば、出来なかった子も個人授業で伸ばしてくれる」と評判もいただきました。個性的な子どもがいろいろ集まってきましたよね〜(笑)。でも、不思議なことに、我が子の先生にはなれないんですよね。子どもは親のエゴで育てるより、社会に育てられるという信念で、かなり放任で育てました。確実に、教え子達にとっての私のような存在が、私の息子たちにもきっといてくれたと思います。うちの息子たちはなかなかのやんちゃ者で、すごくすごーく面白いんですが、育てるのはとっても大変でした(笑)。子育てのこれぞフィールドワーク! を体験させてもらいましたよ。
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