Q.どんなタイプのお嬢さんでしたか?
文学少女? 優等生なのでお勉強ばっかり?
まったく逆ですね、棒を持って悪い男の子を追いかけ回しながら、外で活発に遊ぶ女の子でした。すごく足が速くて、小学生の頃は徒競走では負けたことがなかったです。ドッジボールでは相手は絶対に転んでしまうくらい、強かったですよ。私がボールを投げる格好をしただけで、みんな逃げちゃいましたから(笑)。6人兄弟(1人の兄と4人の姉)の末っ子、勝気で負けず嫌い、それからとても明るい性格でしたね。
生まれは東京のど真ん中、中央区馬喰町です。その後埼玉県へ疎開をして、小学校3年生の頃に戻った時には、両親の良い学校へ行かせたい、という配慮から世田谷区の小学校へ通うことになりました。転入当日「私は、梨本昌子でございます。埼玉県の寄居から来ましたけれども、これから仲良くやっていただきたいと思います。よろしくお願い致します。」と自己紹介を堂々とやったので、東京の子はびっくりした、と今でも語り草になっています(笑)。田舎から出てきたというコンプレックスを持っていてはいけないと、分かっていたんでしょうね、誰かに指図されたわけでもなくですよ、本当に勝気だったと思うでしょう? ですから、すぐにみんなと打ち解けて、田舎の子のわりには、成績が優秀だったのか、社交術がよかったのか、5年生では送辞を読む大役をいただいたこと、覚えています。
Q.中学・高校時代は陸上と絵に夢中で、
絵の具を買うためにアルバイトをしたとか?
中学時代は毎日陸上の部活動に明け暮れていましたね。本当は絵も得意で、当時の美術の先生に褒められた「君の想像とインスピレーションは普通の子と違う」という一言をきっかけに“絵を描きたい”という思いが常にありました。陸上ばかりで勉強はあまりしていなかったんですが、要領がよくて、高校はトップクラスの新宿高校に合格。入学したら本格的に絵を描こうと思い「絵の具代をください」と、ある時母に言ったんです。そうしたら「とんでもない。6人の末っ子で、中学生の身で絵画の絵の具なんて贅沢な物、買えるはずありません」と一蹴されました。
諦めきなかった私がひらめいいたのはアルバイトをすること。近所の電柱に「家庭教師いたします」なんて書いて、男の子ふたりに勉強を教えてお小遣いを稼ぎました。たっぷり儲けて絵の具は買えたし、お菓子もたくさんいただきましたよ(笑)。電柱に貼った広告がお金持ちのお坊ちゃんたちを引き寄せたんですよね、中学生の女の子にしては大胆なことをやったわね、今でもその子たちと文通していますけれど。 |