Q.コネクションのないなか、
会社を設立しようと考えた理由は?
なぜ、起業したかというよりも、その前に私はハワイで、1人のキャリアウーマンとして、どのように格付けされるのかを試してみたくて、最初は就職活動をしました。「面白そうな日本人女性が来たよ」という話は広まっていましたから、大きい会社がいい待遇で雇ってくれるかもしれない、と甘い気持ちもあったんです。私を雇いたいと様々な会社からコンタクトがあったので、これまでの経歴を持って出かけて行くんですが、まず、給料がトンプソンでもらっていたときの3分の1ぐらいなの。これでは話にならないと思って……、どうすべきか悩みました。
ある日、空を仰ぐと虹が二重に出ていたのね、ダブルレインボーが。それをお告げみたいに感じてね、何をグズグズ考えているのよ、自分でやればいいんじゃない! ということに、ハッと気がついたんです。それで「私は誰にも雇われないで自分で会社をやりますよ」と主人に言いました。彼は「我が家は経済的に君が働く必要はないが、仕事をしていない君なんて存在しないだろうから、どうぞおやりください。ただし、僕は銀行家じゃないよ、お金は貸さないよ」ってドライに言うんですよ、つまり、パトロンゼロ、スポンサーもいない、コネクションもなし、友人もいない……というまったくゼロの状態で始めました。
Q.PR/広告代理店スタートの年から
大きなクライアントを担当されたとか?
オフィスを借りて秘書を雇い、スタートしたのが26年前。それが、ナシモト&アソシエイツの最初です。起業1年目、すぐに日本のシャネル仕事をいただきました。ロイヤルハワイアン・センターにハワイ第一号店がオープンした時ですね。国際PRやトンブソン時代の私のキャリアを知ってる女性が当時の日本のシャネルKKのPR部長でしたから「あの人だったらいいわよ」という感じで決まりました。でも、責任は大きかったですね。それ以来26年間、シャネルとのお取り引きは今でも続いています。こうして契約を継続していただいていることは、矢継ぎ早に広告会社を変更し、競争させるのが常であるこの業界では、とてもレアなケースで、一つの伝説なんですって。当時、私が画期的な功績をハワイの経済コミュニティに残したと思われるのは、シャネルに続いてクリスチャン・ディオールなど、トップブランドのハワイへの初進出のPRや広告を手掛けたことですね。また、ハワイのお土産の代名詞とも言える、“ヒロハッティ”のマーケティングには約17〜18年携わりました。日本人をターゲットにした商品の開発を手がけ、日本人顧客率を0%から34%位まで伸ばしたのは、今でも当社の最大の記録になっています。 |